ガンダムを乗り越えられない世代に向けての弁証法的考察?

僕は『機動新世紀ガンダムX』がガンダムシリーズでトップ3に入るくらい好きなんですが、『機動戦士ガンダムUC』が割とあのラストでありながら一定の評価を得たということもあって、ガンダムXを推薦したいのと再評価の流れを作りたいので、こんなことを書いてみる。

 

さて僕は個人的に映像化(TV放送&映画化)されたガンダムシリーズについて、こーゆー分類をしている。

【全ての始まりとテーゼとしてのガンダム】
・機動戦士ガンダム
・機動戦士Zガンダム
・機動戦士ZZガンダム
・機動戦士ガンダム-逆襲のシャア-

【新しいガンダムへの挑戦と失敗】
・機動戦士ガンダムF91
・機動戦士Vガンダム

【オマージュとアンチテーゼとしてのガンダム】
・機動武闘伝Gガンダム
・新機動戦記ガンダムW
・機動新世紀ガンダムX

【全ての終わりとジンテーゼとしてのガンダム】
・∀ガンダム

ここまでが原作者である富野由悠季とガンダムとの関係性の歴史だと個人的には考えている。ちなみに2000年以降のガンダムシリーズ(21世紀ガンダムシリーズ)については、今回は割愛する。

 

 

もう少しだけ説明をしておくと、

【全ての始まりとテーゼとしてのガンダム】
・機動戦士ガンダム
・機動戦士Zガンダム
・機動戦士ZZガンダム
・機動戦士ガンダム-逆襲のシャア-

→全ての始まりにしてアムロとシャアの物語。ニュータイプという幻想の取り込まれた人々を作り出した元凶。『機動戦士ガンダムUC』の台詞にもあったが「希望の願いが呪いに変わった」と言っても過言ではない。

 

【新しいガンダムへの挑戦と失敗】
・機動戦士ガンダムF91
・機動戦士Vガンダム

→ニュータイプやガンダムとしての一応の決着は『逆襲のシャア』でついたため、新しい世代に向けて作ろうとした作品だったが「アムロとシャアの物語」が見たい視聴者からの評価は低かったと思われる。

この辺から病んでいったと言われている富野由悠季は、その後『機動武闘伝Gガンダム』の今川泰宏に「ガンダムの破壊と再生」を託す。

 

【オマージュとアンチテーゼとしてのガンダム】
・機動武闘伝Gガンダム
・新機動戦記ガンダムW
・機動新世紀ガンダムX

→富野由悠季以外の監督がこれまでの宇宙世紀シリーズとは違うパラレルとしてのガンダムシリーズ。各作品ともに『機動戦士ガンダムシリーズ』が持つテーマや作品性をオマージュしつつも、アンチガンダムシリーズとしての一面を持つ。

 

僕がそう思っている点を少しだけ書いておく。

 

・機動武闘伝Gガンダム=伝えたいことは口に出して言わないとわからないということ。ニュータイプが相互理解のための能力とされていたが、人間は肉体的な接触(言葉や拳など)でしかわかりあうことはできない。

・新機動戦記ガンダムW=「俺達はもう飽きたんだ、お前らはまた別の敵をみつけ戦い続けるがいい(樹・幽遊白書)」というイメージ。ガンダムがなくなっても戦争はなくならなかった(※ガンダムが求められた)、だったら戦争の悲惨さを見せつけて人類が戦争という選択をしないようにしよう。

・機動新世紀ガンダムX=大人として真面目にガンダムを考えた結果、ガンダムからの卒業を提言。ニュータイプを否定し、完全にガンダムを潰しにかかるという荒業を展開した結果、ガンダムシリーズでも屈指の低評価となる。

 

あと、この平成3部作と言われるシリーズは全体的に過去作品のオマージュが盛りだくさんです。ガンダムWが一番わかりやすいですが、ガンダムXやGガンダムにもそれは盛り込まれています。

 

【全ての終わりとジンテーゼとしてのガンダム】
・∀ガンダム

→「∀(すべて)」という記号にも表せられているように、これまでのガンダムシリーズを全て受け入れ、乗り越え、再生させた富野由悠季の集大成の1つ。今後どんなガンダム作品が作られようとも必ずここに収束されていく。

 

これまで宇宙世紀シリーズ以外には「機動戦士」という冠はつけれなかったが、この作品以後は「機動戦士」という冠をつけることができるようになったことからも踏まえて乗り越えていることがわかる。

 

 

ここまで簡単にガンダムシリーズの概要を話してきましたが、なぜ僕が『機動新世紀ガンダムX』を薦めるのか。

特にガンダム・Zガンダム・逆襲のシャアを見た人にこそ、ガンダムXを見てもらいたいと思う。

 

その理由はガンダムXの最終回予告にある。

15年前、僕達はその戦争を体験した。ニュータイプという存在に触れた。そして大人になった今、僕達はもう一度それを見つめ直そう。次の世代へ、次の時代を託すためにも。

僕はあの当時、ガンダムシリーズを既に全て見ていたわけではない。実際に全シリーズを見るのは大学に入って時間ができてからだ。

その時に再度きちんとガンダムXを見たが「なんておもしろいんだ」と感じましたし、「なぜおもしろさがわからないんだ?」とも思いました。

 

上記にも書きましたがこの作品は「ガンダムというテーマからの卒業」であり、ガンダムファンからすると全否定もいいところです。自分が好きなものを「いい加減、大人なんだからやめようぜ」と言われるようなもの。

ですが、あのニュータイプを否定する言葉を受け入れることができた人だけが「本当の意味のニュータイプになれる」ということ、つまり「新しい時代を作る人」になり得る可能性があったのだと思うのです。

 

ガンダムXに出てくる古い世代はニュータイプというものを拠り所にしていた。しかし、(作品の世界設定で)戦争が終わって15年がたった新しい世代にはニュータイプなんてものは必要なかったし、ニュータイプがなくとも前に進むことができた。

だから、大人もその古い価値観を捨てようというメッセージがある。

ニュータイプというものに依存し、あの悲惨な戦争を起こし、それでもなお思考停止し続ける大人(ファーストガンダム直撃世代、放送当時で20代半ば~40代)に対しての痛烈な皮肉ではないでしょうか。

「ニュータイプは幻想だ」というDOMEの台詞は結構ハードなものだと思うけど、大人になるということはそーゆーことなのかもしれないなと。

 

そしてDOMEの最後の言葉である「古い時代はこれで終わりだ」は重みのある言葉だなと。

その後、『新約・機動戦士Zガンダム』で富野由悠季がニュータイプ論に関してこう定義付けた。

真のニュータイプとは今までのニュータイプ論で描いた精神的な共感に加えて肉体的な体感を持ち、それらを隣の人を大事にするために活かすことができる人である。

この定義からもニュータイプであっても「実存的でなければいけない」という意味が付与された気がします。

 

 

ということで、ここで最後。

こーゆー経緯というか考えがあるので、『機動戦士ガンダム オリジン』はちょっと否定的なんですよね。

『機動戦士ガンダムUC』もガンダムシリーズ(アムロとシャアの物語)の終わりとしての作品と僕は位置づけていますし、「次の世代へ」というテーマがあったと考えています。

 

にも関わらず、『機動戦士ガンダム オリジン』はまた最初に戻ってしまう。

「ループものか!」「ひぐらしか!」「シュタゲか!」と言わずにいられない(笑)

 

ガンダムシリーズって絶対に売れるコンテンツなんですよ。もちろん35年間、常に右肩上がりだったかというとそうじゃないけれど、失敗しにくいコンテンツであるのは確か。

商業的に考えたらここでこのコンテンツを終わらせるということは愚策でしかない。しかし、それはまた狭い箱庭へ逆戻りするようなものだと思う。

 

だから商業的に止めることはできなくても視聴者が自分の頭で考えてやめることはできるのではないかと言っているような気がするのです。

だた、本気で考えたならアニメや漫画からでも学びを得ることは可能なんですけどね。

 

 

さてガンダムXの最終回、エピローグで主人公のガロード・ランはこう言う。

「俺、いろんな所に行ってみたい。そしていろんな物を見ていろんな人と会って、そして考えたい。自分がどんな未来を求めているのかを」

「じゃ、世界一周の旅に出ればいいのか、自分探しの旅をすればいいのか」というわけではない、それは1つのアプローチでしかない。

仮にそういった方法でしか世界を知れないというのなら、「なんで引きこもりの僕よりもモノを知らない人間がこんなにも多いんだよ!」と文句のひとつも言いたくなる。

 

世界へ出るとか世界を旅するというのは「自分の目で見て体験し、それに対して考える」というのがセットになっているので、多くの人の価値観や考え方を変えることができるのだと思う。

しかし、それをしなくても広い世界を知ることは可能であるし、もしそれ以外の方法がないのなら車椅子生活や寝たきりの人は一生成長することができないと言っているようなもので、それは暴論でしかない。

 

広い世界を知って成長するために僕が考えるのは「より本質に近いものに触れる」「より本質に近いものはなにか考える」ことだと思っている。

哲学書や映画や古典文学に触れるのが前者で、今回書いた記事ができるまでの一連の流れが後者になると思っている。

 

まぁ、それはさておき、ここまで散々「ガンダムの呪縛」について話してきたが、そんな僕も未だにガンダムは見るし、こうやって長々と誰が読んでいるのかわからない考察を書きなぐっている。

そういう意味では僕も呪縛から解き放たれていないし、言い方を変えると「地球の重力に魂を引かれている」ということなのだろう(苦笑)

 

 

【追伸】

「『ガンダム、Zガンダム、逆襲のシャアを見た人こそ、ガンダムXを見てもらいたい』とおっしゃってますが、裏を返せば宇宙世紀ガンダムを見た上でないとガンダムXを楽しめないと言っているものでしょう」

というズバリ的を射た意見がでてきました。

 

「心・・洗われました・・」と涙を流すくらい秀逸な意見で、僕自身が「あぁ・・、僕も宇宙世紀ガンダムに捉われていたんだな・・」と思いましたね。

そして、この意見を踏まえて少し補足記事を書いたので、こちらもぜひご覧ください。

 

→ 『自分も「ファーストガンダムに魂を縛られた人」と気づかされた話』

 

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11件のコメント

  • 野良犬

    どうも、X以後のその後をみると制作側もガンダムの呪縛から逃れられていない感じをうけますね
    SEEDシリーズなんかでも、1stやZをなぞるような展開の部分やオマージュ、NTのような人類の革新を示す言葉と存在

    OOも最終的に1stガンダムとクリソツのOガンダムに乗る古谷ボイスキャラのラスボスと戦うという展開、イノベイターという類似品がでたし

    AGEも基本的には1st~CCAまでを作り替えたものが下敷きといえるしやはりNTに類似する能力がでた

    OVAのUCはアムロとシャアからはじまる物語の総括であるし

    もう人類の革新とかそんな呪縛に縛られてますね

    売れる売れないべつにして禿御大の作る作品(∀やGレコのが自由ですね)
    オルフェンズもそういうお約束みたいな呪縛(仮面はいたが)はなかったか

    • のでじん

      どうも、野良犬さん。
      コメントありがとうございます。

      仰るとおりで、僕も平成ガンダムはなんだかんだで
      「これがガンダムだ」ってのを、なぞっているだけだと感じます。

      もちろん、設定や役者は異なるにしても、
      やっていることはほぼほぼ同じ。

      まぁ、リアルで見てきた世代が作っているから、
      無意識的にそういうものに似てしまうのかもしれませんが。

      その点、富野御大は自分が作った作品なので、
      それに縛られながらも、そこから抜けだそうという
      気概を感じられますね、売れるか売れないかは別にして(苦笑)

      そういう意味でガンダムXは「かつて、戦争があった」という
      冒頭の台詞の通り、「その先」を提示しようとしたのではないかと思い、
      個人的に好きなんですよねー。まぁ、この作品も評価低いですが・・。

      なので、多くのガンダムファンは未だに地球の重力に魂を引かれるかのように、
      「これぞ、ガンダム」というテンプレートから抜け出せないし、
      抜け出ない方が商売的にうまくいくという感じはしますね。

      だから、ガンダムというお約束を殆ど匂わせることがなかった
      (仮面やNTの代わりの阿頼耶識くらい?)
      オルフェンズが好調なのは意外っちゃ意外でした。

      僕は「オルフェンズ面白いな」って思いながら見てましたが。

  • 通りすがり

    どうも、私は基本的にガンダムはGとW以外興味がないクチですが、Xはリアルタイム当時子供心に「つまらねえ」って見放した覚えがあります。

    それから20年経って見直したんですが、やっぱりつまらなかったです。まず一つに戦闘シーンが退屈、キャラに華がない。GガンやWみたいに売りとなるエンターテイメントとして成り立つ要素というか物語の土台からしてボロボロ。こんなものを39話も楽しめなんて苦行でしかない、というのが正直な感想です。

    「ニュータイプ否定」だの「ガンダムからの卒業」だのやたらに掲げてるテーマが高尚であっても、それはまずエンターテイメントとして最低限面白い話やかっこいい戦闘シーンを作った上での話ではないでしょうか?

    まず商業作品として最低限売れるものを売るという当然のノルマをこなした上で如何に面白いものを作るか?これこそがプロの仕事の第一条件であって、好き勝手やった結果が個性的だなんてのはアマチュアの考え方です。慈善事業でやってんじゃないんですから。

    「ガンダム・Zガンダム・逆襲のシャアを見た人にこそ、ガンダムXを見てもらいたい」とおっしゃってますが、裏を返せばそれって宇宙世紀ガンダムを視聴した上でなければXは楽しめませんと言ってるようなものでしょう。GとWは宇宙世紀ガンダムなんか見なくてもわかりやすかったし楽しめました。でも、Xはそうじゃない。ということはつまり「アナザー」の名を冠しながら実はXこそ宇宙世紀ガンダムに依存しなければならなかった作品だということですよね。

    高松監督も川崎氏も「マイトガイン」~「ゴルドラン」までで使ったメタフィクション、パロディありきの作劇、世界観の構築という方法論をガンダムに摺合せることに失敗したという印象が強いです。

    • のでじん

      コメントありがとうございます。

      >「『ガンダム・Zガンダム・逆襲のシャアを見た人にこそ、ガンダムXを見てもらいたい』とおっしゃってますが、裏を返せばそれって宇宙世紀ガンダムを視聴した上でなければXは楽しめませんと言ってるようなものでしょう。」

      確かに、言われてみたらそうですね。

      僕自身が全シリーズ見ているからこそ知らない間にそれが根本にあるというか、「それありき」で語っていたのかもしれません。

      そうなると全く知らない人に勧めるとなると今なら『ガンダム00』の方が見やすいかもしれませんね。

  • アクシズの残党

    主題に興味を持ち、入り込んだ者です。

    49歳・男・宅ではない・・と思う
    動画は地上波中心に、浅目に
    ガンダムシリーズお気に入り上位三つ
    1位 ZZ 2位 0083 3位 F91

    自分はSNSとやらは、やっていないので(携帯すら持っていない)独り言、主に愚痴になるが、書き込みをば。
    作品や創造主、被造物(この言い回しは、今見てる作品の影響)への思い入れは様々だねぇ。一年戦争を実放送から観続けて来た者としては、ガンダムは作品上VGで終わってる。物語の時系列は関係無く。映画Z、サンダーボルト?オリジン?は見てないので何とも言えんが。ユニコーン?UCはウンコの略か?映画Z、サンダーボルト、オリジンは食わず嫌いの部類なので、いずれ機会があれば見てみよう。映画Zは、事前に改悪物と知ってしまったので、永遠に見る事はなかろう。ユニコーンは史上最悪のゲロメ。ZZ好きとしたら、到底受け入れられる物ではない。
    ZZも、当初はなんじゃこりゃで、苦手であった。物語としての、前半のコミカルさや、絵としてのZZ顔が七面鳥に見える所が。苦手、嫌いも向き合ってみれば、良さもわかって来るし、逆に好きになる事もある。しかし、怒り憎しみはどうにもならない。

    敵は本能寺にあり

    話しは突飛するが、ここにおける敵とは、すなわち「バンダイ」である。ガンダムに限らず、動画や特撮等の癌である。自社物に突出した物が無く、キャラ物にしがみ付くだけの、寄生虫、病原菌が作品に悪影響を与えるだけでなく、創作者の発展をも阻害している。ウルトラシリーズ、ライダーシリーズ。他に無いのか?新しい物を産出しようとしないのか?自身が見ていたものに携わりたい気持ちは、「わからんでもない」が。ガンダムシリーズに於いても、F91で機体の小型化がされたが、プラモデルの売れ筋1/144が小さ過ぎるからと、物語を歪曲し、機体を肥大させ、ごちゃごちゃくっ付けたりした。

    ターン∀。富野氏による帳尻合わせも有耶無耶。以後、ガンダムの名とG顔の作品が輩出されたが、富野氏が直接係わった物でも、それはもはや二次創作でしかない。物語は良いのに、G名とG顔を付けてしまった。ブランド頼りの、日本人の悪しき習性。サンライズが、ガンダム以外の新境地として出したヴァルヴレイヴ。そこそこ良かったのに、商品価値が低かったのか?バンダイ悪行が横行したのか。地上波で、子供も視聴できる時間だったオルフェンズ。中途半端な任侠道を織り込みクソメとなった。仁義なき戦いシリーズ好きな者としては見るに堪えない。

    ZZ好きの理由の一つに、ジュドーの存在がある。Gモノの主人公が、ほぼほぼヘタレでイラつくのに対し、ジュドーの性格は勝気で良い。テレビ朝日にて「声優が選ぶ声優・・・」なる番組を見た。榊原さんがランクインしていた。ハマーンの名セリフとして「俗物っ!!」とあった。ハァ?違うだろう。「帰って来て良かった・・・」だろうが。「俗物」は、榊原氏も好きではないと語っていた。後付けではあるが、0083での「ハァ・・寒い。あと年・・」だったかな?それがあって「帰って来て良かった」に深みがでる。

    好きな登場人物一位はアナベル・ガトー

    ガンダム実放送時は小学生だったので、それまでのロボットアニメとして見ていたので、連邦側の視点だったが、歳を重ねるにつれ、シャア側に変わった。が、逆シャアでの散り際の悪さ(助かろうとする醜態)が醜く、ドン引き。当時、シャアは死んでないという怪情報もありなおドン引き。ウンコガンダムのフル・フロンタルへの伏線だったとは思えないが。
    比べて、ガトーの散り際は胸を打つ。

    頭が良くないので、哲学的な論評は出来ないが、ガンダムシリーズから受けた影響は、カロッゾが言った「地球に人的資源は必要無い」という事。クワトロの演説、シャア総帥の演説。クルーゼの絶叫。等々。人類が生み出した愚かな物。それは核などではなく「人権」いうエゴであろう

    • のでじん

      コメントありがとうございます。
      そして、お返事遅くなり申し訳ありませんでした。

      「浅め」と言いつつも相当数の作品を見ていますし、自身の考えや考察を持っているので、世間一般的には十分にオタクです(笑)

      文章自体も読みやすく力もあるので、ブログを作って各作品について書いてくれたら、普通に読む人いると思いますよ。

      各作品をどういった視点や考えで見ているのか、個人的には興味あります。

  • 匿名

    UC等を面白いと思ってしまうような下劣な感性の持ち主のオタクです
    どうすれば正しい感性に矯正できて
    正しい目でガンダムを見れるようになれますか
    間違った評価を持ち続ける自分いやでいやで仕方がありませんし
    首を吊りたくなります

    • のでじん

      落ち着いて、早まるのはやめましょう。

      UCはUCでよいところもあると思いますし、
      ファーストしか認めないとか、
      アムロとシャアしか認めないとか、
      そういうこと自体が地球の重力に魂を引かれるのと同様に、
      ガンダムというものに魂を引かれていることなので、
      「どのガンダムにも良さがある」という視点で見つつ、
      胸を張って「自分はこのガンダムが好きだ」と
      世界に公表していってください。

      ちなみに僕はガンダムXとガンダム00が好きです。

  • 匿名

    Xだいしゅく

  • 匿名

    平成生まれでガンダムSEEDやユニコーンから入った自分からしたら過去のオマージュは楽しめた。初代から好きな人は「同じ事の繰り返し」何だろうけど…今の若い子からしたら新しいものなんです。
    初代を今の若い人向けに作り直したのがSEEDなわけだし…初代50話近くあるの頑張って見ようと途中まで見たけど寝てしまいキツかった(映画の総集編はみた)自分からしたらオリジンはありがたい。
    35年続いてる作品です。もう世代交代の時期です。ガンダム同じ事の繰り返しだと…。売れた平成作品があわないのならガンダムは卒業するべきなんじゃないでしょうか?

    • のでじん

      どうも、コメントありがとうございます。

      基本的に人は「古いものを新しい媒体で見たい」という欲求がありますし、「同じことの繰り返し」でも若い人からすれば新しいというのも非常によくわかる話です。実際にSEEDが売れた理由などもその通りだと思います。

      ただ、別の記事に書いていて当該記事には書いていなかったので誤解を招いたかもしれませんが、僕が一番最初に見るべきと人にオススメするのは『ガンダム00』です。

      そして、僕がこの記事で批判しているのは「宇宙世紀原理主義」の作り手および受け手の両方です。

      仮面ライダーで言えば1号からRXまではひと繋ぎの世界でした(昭和ライダー)、しかしそれ以降のクウガからジオウ(平成仮面ライダー)は、仮面ライダーという共通言語以外は全て異なる世界です。ガンダムでいうと旧アナザー3部作(G、W、X)みたいなもの。

      もちろん、それ以降のSEED、00、AGE、オルフェンズなどのアナザーも一定の成果を収めています。ですので、わざわざ宇宙世紀の年表のスキマをぬって(正確には逆シャアからF91までの期間)、後付けで矛盾を起こす作品を作る必要はないのではないか。

      「ニュータイプとは何なのか?」については、Xでガンダムを見てきた人なら理解できる答えが提示されたと考えていますが、にもかかわらず空間や時間を越える人間以外の存在みたいなものにするということなども含めて、「もういいでしょう?先へ進みましょうよ」という思いで書いています。

      ですので出来はイマイチだったと思いますが、オルフェンズなんかは新しい試みだったなと考えています。

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