どうも、のでじんです。
『OVERDRIVE』の最終作であり、クラウドファンディングで日本記録級の最速1億円突破という偉業を達成した、令和元年注目の1作。
『MUSICUS!(ムジクス・・なんだけどムジカスって読んでしまったのは僕だけではないはず)』というゲームをプレイしました。
圧倒的なシナリオで未だに根強いファンがいる『キラ☆キラ』の後継作であり、実質『キラ☆キラ』の続編ともいえる『DEARDROPS』の流れも汲み、『OVERDRIVE』のロックンロールをテーマにした作品の最終作です。
そのため『キラ☆キラ』や『DEARDROPS』をやっていた方がより「おおっ!」と思う場面が多いですが、やっていなくてもこれらの作品をある程度は追体験できるようなシナリオだなと思いました。
(※そういや『キラ☆キラ』は感想記事書いたけど、『DEARDROPS』は感想記事書いてないや。あれもかなり良かったんだけど、やった直後じゃないと書けないしな)
ちなみに感想から言うと、「あるルートに関しては、何か自分で創造したり、作ったり、表現したり、販売したりしている人間は、絶対にやっとけ!」と思う内容でした。
このルートがおそらくシナリオを担当した瀬戸口廉也氏の最も書きたかったものなのではないかと思うくらい、「あぁぁ・・(絶望)」となりました。
それにこのルートの主人公の状態にハマっている人は多いと思います、僕も片足を突っ込んでいると感じましたからね。
キーワードは『No Title』。
詳しくはまた後ほど話しますが、この作品は花井是清が残した「音楽とはまやかしで、曲単体ではなく、与えられた情報とストーリー、そして聴く本人の体験と思い出、そこに感動と価値が生まれる(意訳)」という言葉に対して、主人公を通して僕らがどういう答えを出すのかを考える作品なんじゃないかなと思うのです。
あらすじと登場人物
主人公・対馬馨(つしまけい)は有名進学校に通っていたが、中退して今は定時制に通っている。
父の後継ぎとして医者を目指すか悩んでいたところ、市の懸賞に応募した小説をきっかけに音楽プロダクションの社長・八木原に興味を持たれ『うちのバンドの遠征に同行してレポートを書いてくれないか』と依頼を受ける。
取材先はかつてメジャーレーベルで活動していたバンド『花鳥風月』。そのリーダー・花井是清はかなりの変わり者で戸惑いながらも、初めて参加したライブで馨は『花鳥風月』の音楽に心を奪われてしまう。
しかしその数日後、感動を忘れられない馨の元に届いたのは『花鳥風月解散』のニュース。納得がいかない馨は花井を説得に向かうものの議論は平行線。 懲りずに足を運んでバンド再開を求める馨に、花井はこう告げる。
『馨君、きみがおれのかわりにロックをやらないか?』
左上:対馬馨(つしまけい) ギター
右上:花井三日月(はないみかづき) ヴォーカル
左中:尾崎弥子(おざきやこ)
右中:香坂めぐる(こうさかめぐる) ベース
左下:金田(かなだ) ギター
右下:高橋風雅(たかはしふうが) ドラム
ちなみに僕は香坂めぐる推しです。かわいいし、話し方も好き。達観した感じも好き。
攻略順とルート説明
何となくやってたらいきなり尾崎弥子が告白してきてそれを主人公が断るというエピソードが入ったので、必然的にバンド結成ルートに入っていました。
その後は普通にそれまでの流れを考えながら選択肢を選ぶだけで、メインシナリオである「花井三日月ルート」に入れました。結構わかりやすかったです。
攻略順としては、この記事で書いている順番でいいと思います。
1:花井三日月ルート
2:香坂めぐるルート
3:尾崎弥子ルート
4:来島澄ルート
(※3と4は逆でもOK)
それは「前2つがバンド活動の光」であり「後ろ2つがバンド活動の闇」だと思うからです。いわゆる「成功者の光と影」「理想と現実」みたいなやつ。
この辺は『キラ☆キラ』でも『DEARDROPS』でも語られていましたが、シナリオ担当の瀬戸口廉也氏が「『キラ☆キラ』のその後を描きたかった」と言っていたもので、それが描かれているのが冒頭でも話した「あるルート」だと思うのです。
共通ルート感想
共通ルートは主人公の対馬馨と花井是清との会話がメイン。
人生を変えるような出会いを与えた花井是清が語る、音楽に対する絶望。
音楽は人の心を揺り動かす。
人の心を揺り動かして・・と言ったけれど、おれはどうも懐疑的でね。本当に音楽が純粋に人の心を揺り動かすことなんてあるのだろうか?
(中略)
よく映画とかフィクションでは、無名の天才ミュージシャンが演奏して通行人が涙を流すなんて演出があるけど、そんな光景を現実に見たことがあるかい?誰が褒めているのか、誰が演奏しているのか、どれだけ売れてるか、そんなことを何も知らないでただ曲を聴いて、それだけで涙を流すことなんかあると思うかい?
おれたちのライブでもたまに泣いているヤツがいる。でも昔、路上ライブをしていた時いくら演奏しても誰も涙なんか流してくれなかった。あの時の方がずっと心を込めて必死で演奏していたのにね。今なんかただの仕事だよ、仕事。でも泣いている。・・あれは結局状況に酔っているだけなんじゃないか?
(中略)
広告を打って、ストーリーをくっつけて、ファッションみたいに流行らせて、すごいものみたいに言っているのは全部デタラメだよ。どの曲も歌も大した差なんかない。全部プロが作ってるんだからさ。どの曲を聴いたってちょっと気持ちよくなるだけだ。そしてロックなんか存在しない。
・・そうじゃない何かが見えている人もいるのかもしれない。でもおれにはわからないな。自分の曲と他人の曲に違いなんかわからない。
なのに、おれのライブにわざわざ来る人がいる。とても信じられない。金を払っているやつを見ると可哀想な詐欺の被害者だって感じる。心が痛む。でもやるしかないんだ、プロだからね。
ねぇ、対馬君。原稿にははっきり書いてくれよ。花井是清の作った曲は、どれひとつとっても小指の先についた鼻くそほどの価値もないゴミだけだってね。だから喜んで聴いている連中は早く目を覚ませって。おれの口からは言えないんだ。
こんなことを主人公に多大な影響を与えた人物から言わせるなんて、本当に性格が悪い。しかも、この台詞は『呪い』にもなる。
主人公はこの言葉の意味を考え、それを元に行動を選択し、その選択の違いがルート分岐に繋がっていく。
個別ルート感想:花井三日月
基本的に『キラ☆キラ』も『DEARDROPS』も『MUSICUS』も、「右肩上がりでうまくいきました、ハッピー」というシナリオにはなっていません。
アマチュアである程度の人気と知名度を得るまではトントン拍子に進みます。「過去に音楽習ってたからといって素人から初めて数ヶ月でそこまでいくか?」と思うことは多々ありますが、あるラインからはスムーズに行かなくなる。
『キラ☆キラ』はアマチュア世界で終わりますが、『DEARDROPS』はメジャーデビューをしようとして大御所歌手から妨害が入る話があったり、『MUSICUS』もアマチュアで人気と知名度を得ても数年くすぶる時期や、ヴォーカルだけ引き抜かれそうになる話などがあります。
この辺はバンドあるある話なのかもしれませんね。
そんな中、「このメンバーで成功することに意味があるんだ!」というルートがこの花井三日月ルート。
しかも映画にしろ小説にしろ漫画にしろ、一般的な創作物は「成功しました、やりました!」で終わりになることが多いのですが、この作品は成功した後の話も書いています。
僕は成功したというには程遠いクソみたいな人間ですが、やはりこの辺は通じる人には通じる話だと思うのです。
ずっちゃんは人に認めてほしいんだねぇ。自分のことをわかって欲しいんだねぇ。でも、ステージに上がって脚光を浴びたって、演奏が喝采されたって、多分ずっちゃんが求めてるものは何も手に入らないかなぁ。
あとはこの一連の台詞も重いなぁ・・と。
いつから僕はライブの前のこの瞬間に、ワクワクしなくなったんだろう?
繰り返される練習、繰り返されるライブ。別につまらなくなったわけじゃない。特別なものだったライブが生活の一部になってから、僕らの音楽活動には色々なものが絡みついた。来月の生活費、同じ事をしても褒められたり貶されたりするあてのない業界で、あてのない将来。『普通の人』が暮らす大陸を離れて、帆も舵もない筏で海の向こうへ漂流していくような不安な感覚。
売らなきゃいけないプレッシャーと、それと対立する音楽へのこだわり。皮膚をカンナで削り取られるように時間が過ぎるのが痛みとなって感じられる。周りを見ればドンドンと脱落していくし、残ったやつは頭の悪そうなやつばかり。まともなバランス感覚なんか、とうの昔に失っている。
自分の人生だけじゃなく妻や子供の将来まで賭けようとするアホもいる。本当にそこまでする価値がある業界なのか?ライブに上がる僕らの足には錆び付いた重い鎖みたいに、僕らの人生を構成するシリアスで、そして避けられない、色んなものが絡みついているんだ。
(中略)
でも、それは照明がつくまでの間だけだ。パッとスポットライトが点灯すればそれは消える。鎖はその光の中に消え、僕は絡みつく全てを忘れる。ライブが終わればまた元通りになるとしても、この瞬間だけは余計な何かがなく、僕は楽に呼吸ができる。きっとこの瞬間があるから、全てのバンドマンは呪われたようにステージに上がり続けるのだ。
「好きなことをして生きていく」とか「日本は起業が少ない」とか言っていますけど、この『希望と絶望が入り乱れた混沌とした世界』に身を置ける人間がどれだけいるのかって話なんですよ。
誰もがそんな頭イカレたやつばかりじゃない。「普通の人が持つ、普通の生活」とは違う世界に生きる。それができるかどうかというのは、かなり大きいと思う。
まぁ、なんか花井三日月ルートの話とはかなり脱線してしまったのだけど、このルートに関して言うと王道のストーリーだなって感じがしたので、だからこそ初回はこのルートを通った方が他の3ルートに対する見方や感じ方が変わるなと思いました。
個別ルート感想:香坂めぐる
こちらのルートは全体の話でいうと「途中のサブエピソード」って感じでした。バンドメンバーも全員揃わないというか、高橋風雅が入らず別のメンバーが加入するので。
唐突に入って唐突に終わる感じがしたので、香坂めぐる推しの身としては「正直ちょっと微妙・・」な内容でしたね。
このルートは「音楽に人生を捧げて成功したとしても何が残るのか?意味はあるのか?」というテーマだと思いました。
花井三日月ルートが一般的にイメージする正攻法の成功だとしたら、その先輩となる大物ミュージシャンの人生を通して、前述のテーマを問いかけるという感じです。
おれも少し、音楽を嗜んだのだがね、まったく人生を失敗したよ。
ミュージシャンというのはね、全く割に合わない生き方だ。いくら真剣に全てを捧げたって、見合ったものは何も返ってきやしない。失うだけだ。
音楽なんかほどほどにして、家族や友人を大事にしたらいい。評論家が褒めようが、客が喜ぼうが、あんな連中、良いときだけのことなのさ。苦しいときに家族もいない孤独な人生というのはみじめだね。
・・ああそうだ、もしおれの家族を知っているのなら、どうか見舞いに来るよう頼んでくれないか? 一度だけでいい。最後に顔を見て死にたいんだ。おれの望みはもうそれだけだ。許してくれとは言わない。ただ顔だけでも見たいんだ・・。
おれの人生は何もなかった。もっと普通の幸福を求めて行動すればよかった。ガキの頃からずっと、手に入らないものを手に入れようとして、結局何もない人生にしちまったんだ。
人が羨むような成功をした人であっても、晩年はこういった後悔の言葉を言うしかないとしたら・・?
「生まれてきた意味がある」「生きているだけで成功している」みたいなことを自己啓発やスピリチュアルな人は言うけれど、果たして本当にそうなのだろうか?
「人は死ぬという事実は絶対に覆すことができない。では、死ぬまでに何をすべきなのか?」というのを考えさせられる内容でした。
ちなみに「やる意味がない」と「やる価値がない」は似ているようで違います。それは下記の引用文を見ると一目瞭然。
意味がないと価値がないは全然違う、イコールじゃない。
意味があって生まれたわけじゃない。ただ両親がセックスして、精子と卵子が合体してできただけ。そこを支配しているのはただの生理現象であり、深遠な意味などない。全ての人間は意味など持たずに生まれた。無意味な人間である。
しかし、全ての人間は、事象は、価値を持つことができる。意味なんかなくても価値がある。
もちろん全員が全員そうだと言いませんけど「やれば経験となり、それが自分の中での価値となる」ので、「勉強する意味があるの?」とか僕も子どもの時に思ったりしましたけど、今となっては「やっとけばよかったなぁ・・」って思いますもん(苦笑)
個別ルート感想:尾崎弥子
このルートはメインルートであるバンド結成ルートとは異なる世界線であり、あくまでも学校に残って生活するという学園物の色が強く、『キラ☆キラ』の前半部分に似ている感じがしました。
色々と感想を見ていると結構このルートの評判が良く、ある意味で王道のハッピーエンドだからそれも当然かなって感じです。後輩とのイチャコラもありますし。
学生時代にバンド組んで文化祭で演奏してた人なんかはすげー共感できるものがあるんじゃないかなと。
ただこのルートでは主人公は最後まで「バンドを選ばなかったことへの未練」みたいなものがあり、それは下記のような台詞からも感じ取れます。
何より一度きりの人生なのだ。一度きりだから全てを失うような失敗はできないという考えと、一度きりだからやりたいことをやらなくてはいけないという考えのどちらが正しいのか?
未練を残しながらも、それでも自分にとって一番正しいと思う道に進むしかない。
選んだ道でうまくやれるよう頑張るだけだよ。もし全てがうまく行って幸せになれれば、自分の選択を後悔なんかしないだろうしね。
きっと何を選んでもいいんだよ。どうせ正解なんかわからないんだから。迷いながら手探りで、選んだ道が正解になるように全力を尽くすんだ。
誰しも多かれ少なかれ「夢」みたいなものって持っていたと思います。
特に僕らみたいに何かしらのビジネスを自分でやっているという人であれば、そういう夢や希望を持ってやってくる人をたくさん見ています。
しかし、彼らも「生活できないから就職する」とか「付き合っていた彼女との間に子どもができた」などの理由でその夢や希望を諦めていくということは多々ある。
そして、一部の人はそれを「真剣に生きていない」「本気じゃない」と悪く言いますが、僕はそれはちょっと違うと思いますし、誰もが上記の引用の台詞になるし、
「何より一度きりの人生なのだ。一度きりだから全てを失うような失敗はできないという考えと、一度きりだからやりたいことをやらなくてはいけないという考えのどちらが正しいのか?」
という間で悩んだり、未練を残しつつ、生きている。
全てを捨てて分の悪い賭けでも全額ベットできる人もいれば、全てを捨てて背水の陣で挑むことで結果を手にしてきた人もいる。反対にある程度の逃げ道や代替案を持っていないと動けない人もいる。
それはその人の性格や性質によって変わってくるのだけど、現代社会においては「遺伝と環境に優位性がある者が生き残る」という至極真っ当な結論が出ており、
ロックって落ちこぼれの味方だったはずじゃないか!それまでまともなやつらに取られちゃったら、おれたちに何が残るっていうの?
という声が出てもおかしくない時代になっている。いくら「日本に生まれてきただけで他の外国と比べると優位だ」と言っても、それは生存率が高いだけであって幸福度や充実度とはまた別の話だし。
まぁ、それはさておき、「一度見たキラキラした世界への未練を断ち、普通の生活を選ぶ」という『キラ☆キラ』のトゥルーエンドの鹿之助みたいな印象を受けましたね。
個別ルート感想:来島澄
最後になるのがこの来島澄ルート、別名『BAD END』『No Title』とも言いますが、僕はそこまでこれがバットエンドだとは思わなかったです。
『キラ☆キラ』でもそうでしたが「バッドエンド」「鬱ルート」なんて言われているルートの方が僕は響きました。まぁ、それだけ僕がおかしいってことなのかもしれませんが・・。
このルートは「音楽に絶望した花井是清と同じ道を主人公が歩む」というのが一番わかりやすいかなと。
それとどこかで見た感想で「来島澄はバンド結成&絶望ルートで登場した尾崎弥子」という考察があって、「なるほど、確かにそうかも」と思いました。
髪の長さに違いはあれどビジュアル的な違いはほとんどなく、「主人公のためなら自己犠牲も厭わず、期待や応援をし続ける」という性質も似ている気はします。
また「辛くて負けたくなる時ほど笑顔でいる」というところも同じです。
だったら「バンド結成+尾崎弥子ルートを作ってくれよ」と思ったけど、尾崎弥子自体は父親が画家で、そのせいで辛い生活を送ってきたからこそ、バンド結成のルートを選ぶ以上は主人公と接点がなくなるんだなと思い直しました。
このルートが冒頭でも話したルートなのですが、このルートこそがシナリオ担当の瀬戸口廉也氏が「『キラ☆キラ』のその後を描きたかった」部分じゃないかなと思うのです。
だからこそ、このルートが最も嫌な読後感が生じるにも関わらず、一番納得感もあるルートでした。
というか、そもそも瀬戸口廉也氏ってバッドエンドに言いたいことを詰め込む感じがあるんですよね、『キラ☆キラ』にしても『スワンソング』にしても。
さて、このルート「音楽に絶望した花井是清と同じ道を主人公が歩む」と言いましたが、主人公は花井是清と同じようなことを言う場面があります。
あの人は音楽に絶望していた。音楽自体が持つ人の心を動かす力を、そして音楽に投げかけられる色んな言葉を、信じられなくなっていた。
その気持ちはよくわかる。自分が作った音楽がどんな風に伝わっているかなんて確かめる術はない。込めた努力が売上という結果になるわけでもないし、必死で作ったものが無視され、気に入らないものが認められてしまうことになる。音楽の効果はそれを聴く状況や雰囲気に左右されてしまうというのは、確かにその通りだ。
だって、一般のお客さんではない専門的にやっている僕らミュージシャンだって、同じ曲なのに聴く時によって感じるものが違ったりする。昔好きだった曲が全く心に響かなくなったり、当時無視していた曲が妙に沁み入ったりする。とすると、曲そのものに価値があったというよりも、単に自分の状況とのマッチングに感動していただけなのかなと思う。
僕らみたいに個人でビジネスをやっている人も、企画やサービスを作ったり、サイトを作ったり、動画を作ったりしていると思います。
そして「自分はこれが面白い!」と思ったものや「過去に自分にこれを伝えたい」と思ったものであっても、それが評価されるとは限らないし、売れるとも限らない。
何万文字書こうとも、何十時間費やそうとも、相手からすればそんなところは関係なく「ピンとこない」「面白くない」「長い」という理由で切り捨てられる。
確かに「素敵です」「面白い」「最高だ」と言ってくれる人もいる。だけど、それだけで満たされる人はわずかで、多くの人はその創作活動や表現活動とともに経済活動も一緒に行っている。
評価されることは大事だが「誠意は言葉ではなく金額」という名言もあるくらい、一定ラインを超えるとお金が密接に関わってくる。
それが得られない、そして世間とのズレも大きくなる。そうなると結構しんどいですよ。
では逆に「自分の世界に篭り過ぎた。相手の好みに合うようにしよう」と思って、相手に迎合するわけじゃないけれど自分のポリシーを横に置いて相手に合わせようとしても、必ずしもそれがうまくいくとは限らない。
そうなると「相手に合わせてもうまくいかないのなら、自分の好きなようにやればいい」となってしまう。自分のやりたいこと、描きたいこと、言いたいこと、話したいこと、それを表現した方が言葉に想いも乗るし、内的なエネルギーも出てくる。
こう聞くと「まぁ、確かにそうかもしれない」と思うかもしれません。僕もそういう考えに常に陥ります。
でも、そうすると島田紳助が言っていた、
「X軸(=自分の笑いのスタイル)とY軸(=時代・トレンド)がクロスするから売れる。
一発屋芸人がなぜ一発で終わるのかというと、たまたま同じことをやってきたのが時代とクロスした。出会い頭で事故したのと同じ。だから2~3年したら時代がズレてウケなくなるけど、自分では修正できない」
という話と一緒で、事故待ちになってしまう。
また「これだけ良いものを作っているのに誰もこの良さがわからない」という風になってしまう。
いや、マジで、僕はその状況に何度も陥っているので・・。
あと『キラ☆キラ』の鹿之助も『MUSICUS』の対馬馨も「努力でそこそこまでいけるけど、天才ではない。凡人よりちょっと上、良くても秀才レベル」でしかない。
『キラ☆キラ』の記事で書いた、
こういう物語にありがちな「キラキラした才能」を持っているのが主人公ではなく、主人公はあくまでもキラキラした才能の近くで、そのキラキラした世界を見せてもらった側だからかもしれません。
という立ち位置でしかなく、「自分の全力も天才からすれば暇つぶしでしかない力量さ」を感じることもあるでしょう。
そんな中で彼が「もうこんな生活は辞めて、普通の暮らしを送ろうと思っていた時に訪れた悲劇。そして、彼が決断したもの。それがまさにバッドエンドだった」のです。
この不協和音、何回聞いてもトリハダが出ます。
このルート、『キラ☆キラ』で提示したその先を描いていると思いますが、それは僕らが想像したハッピーエンドではなかった。
きっと僕はそんなものを望んじゃいけなかったんだ。
人間には役割があるって事です。
と主人公に言わせる、その絶望感。
自分が生み出す価値を信じられなくなる。やってきたこれまでの過去が無意味になる。売れない創作者や表現者の過酷な現実と絶望的な未来。
また、この部分に関しては、この考察がすごいなって思いました。
澄ルートのある場面について。
—————————————-
『Dr.Flower』として活動していた時に働いていたその店のことを久しぶりに思い出した。
あそこも家族経営の小さな店だった。当時小学生だった娘さんも、今はもう年頃の高校生になっているだろう。やたらと僕を評価してくれていたあそこの店長は、今も元気にしているだろうか?
「懐かしいね」
「もしその時に戻れるとしたら、戻りたいと思ったりしますか?」何でそんなことを訊くのだろう?
しげしげと彼女の表情を見たけれど、他意は感じられなかった。「別に思わないな。意味がないから。もし時間を遡ったって、僕は同じ道を選ぶだろう」
「そしたらまた、何度時間を戻しても私とこうしてこのレストランにデートで来るんですね」
「そうなるね」澄は僕の返事を聞くと満足そうに笑って、それ以上その話をしなかった。
—————————————-
この会話、取るに足らない惚気と捉えても良いでしょうが、ちょっと考えてしまうんですよ。めぐるルートも三日月ルートもこういった話は出なかった訳で。
もしかすると瀬戸口氏は、対馬馨が『Dr.Flower』を立ち上げ、バイトも並行して始めたなら、絶対にこのルートへ行きますよって事を暗に示唆しているんじゃないかって。
(https://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=28634&uid=soulfeeler316)
つまり、僕らも含めて創作者や表現者は「何かに気づかないとこのルートに辿り着いてしまう可能性がある」ということ。
また香坂めぐるルートでの大御所ミュージシャンの半生を踏まえると、それは「成功していようが成功していなかろうが、そこに大差はない」のかもしれません。
全体の総括というか感想
『キラ☆キラ』も『DEARDROPS』も『MUSICUS』にしても、その差はあれど主人公は家庭資本に恵まれており、レールから外れても復帰できる。
そして、確かに山アリ谷アリで、挫折やうまくいかないこと、才能の差などを見せ付けられることはあるにしても、相対的には「持つべき者が順調にうまくいっている」というストーリーラインになっている。
でも、結局は「天才と比べると才能がない人間の限界」を主人公視点で見せ付けられる(『DEARDROPS』は除く)
だからこそ、「いわゆるバッドエンドルートが最も輝き、最も伝えたいことに繋がっているのではないだろうか?」と思うわけです。
また何かしら人格的に欠陥を抱えているのだが、だいたいどの主人公もこういう台詞を別のキャラクターから言われている。
ケイクンサンは他人が人間に見えてないような気がします。他人に興味あるんですけど、本当の意味では興味が持てないんです。
でも、すごく優しいんです。だからなんだか寂しそうで、助けてあげたいなって、最初に会った時に思いました。
僕も自分ではそういう部分があると思うし、だからこそ主人公に感情移入をしてしまう。
『キラ☆キラ』の記事でも書きましたが、
たまに思うんですよね、「キラキラした世界を見ていなかったら、今の僕の生活は全く違っていたものになっていたのではないか」と。
凡人でありながらキラキラした世界を引きずり続けている自分がいるというのも、ある程度は自覚しています。そして、その世界を夢見ていたからこそ、いや、今も見ているからこそ、その生き方が染み付いて、もう元の世界へは戻れない。
というのを強く感じているが、その先にはキラキラした希望もあれば、ぐらぐらするような絶望もある。
尾崎弥子ルートと来島澄ルート(『No Title』ルート)は、そのキラメキやトキメキとは無縁の世界にある幸せ、キラメキやトキメキの先に遭遇する可能性のある不幸。そういったものが提示されているように感じました。
OVERDRIVEさんと一緒に作った前作『キラ☆キラ』は、ステージの輝きに触れた若者たちのつまらない毎日が、特別なきらめきに変わる話でした。
けれど『MUSICA!』で書いているものは、それよりもうちょっと先のこと――つまり、『キラ☆キラ』が恋の物語ならば、『MUSICA!』は愛にまつわる物語なのです。
※『MUSICA!』は商標登録の関係で『MUSICUS!』に変更。
とシナリオ担当の瀬戸口廉也氏が言っていたそうですが、この話を聞いた後だと「確かに『キラ☆キラ』って希望のある終わり方だったな」って思います。
この『MUSICUS』にあったのは現実、それも残酷なまでの現実。それを「尾崎弥子」と「来島澄」の2つのルートで描いていました。
僕もクソみたいな低レベルであってもこうやって自分の想いや考えを表現している身としては、一応は「表現者」と言ってもいいかもしれません。
そして、それを始めた時点では大きな夢や希望もありました。
確かに周りの友達や知人からすれば「うらやましい」と言われることもありますが、それはあくまでも外から見た景色でしかない。
しかし、この『MUSICUS』は中からの景色をオブラートに包むことなく見せている。
「優しいことだけが愛じゃない、厳しいことも愛だ」みたいな話もありますが、『MUSICS』は本当に厳しい愛だなって思いました。
「正直、2度とやりたくない」と思いました。だからこそ、ぜひ1度はやってみてほしいなと思います。
夢は自分に力を与えてくれるものなのか?
それとも現実を突きつけるものなのか?
そして、それに対峙した後、あなたは何を見るのか?
ぜひそれを『MUSICUS』を通して疑似体験してみてください。
追伸1
記事中に山ほどでてきた『キラ☆キラ』の感想はこちら。
→ 『世の中ってむつかしいね【キラ☆キラの感想とネタバレ】』
※個人的には藤丸氏の絵はめちゃ好き。今や売れっ子エロ漫画家になってしまったけども。
追伸2
『MUSICUS』に関しては主人公の親友として登場する「金田」が受け入れられるかで、大きく進行具合が変わります。
僕はマジでイライラしました。絶対にバンドの時限爆弾になると思ってましたもん。
対人関係スキルのなさ、距離感の取れなさ、実力もないのに自己を過大評価していたり、そのくせ突っ込まれるとそのまま押し黙ってしまい、主人公に助け舟を求めるとか。
まぁ、過去の家庭環境から来る設定上の理解はできるんですけど、やっぱり嫌われそうな人の特徴を全部集めましたみたいなキャラクターであるのは否めない。
あとは頭で考えがち&距離を置いて物事を見ている主人公との対比で、直感で後先考えずにその場しのぎで動くキャラクターという配置だと思います。
たぶん、僕が主人公側の性格ということもあって、金田みたいなのが近くにいるとイライラがマックスになるんだろうなと。
でも、この金田ってキャラクターはなんだかんだで主人公とバンドを組んだ後って楽しくやっているんですよ。
別に高い志とかもないし、割とすぐに欲が満たされるし、裏表のない愚直なバカだから人からも好かれるし、花井是清の意志やロックの魂を継いでいくなんてこともない。
好き勝手やっていた割に、ひょんなことから人並みの幸せは手に入れてしまう。
「凡人の才能しかなかったのに、音楽の神様に挑んだ主人公」と「凡人の才能しかないからこそ、それで手に入る幸せに満足した金田」っていう風に見えました。
また来島澄ルート(『No Title』ルート)なんかは僕は主人公の感情移入しているせいもあって「金田を見ていると、人生をギャンブルにしてまで何かを追いかけても良かったのか?」とすら思った。
僕の人生は普通をあまり体験することができなかったからこそ「普通なんかもう捨てる」という気持ちがあって今まで生きてきたし、だからこそ普通の人生を送る人に対して「見下しの気持ちが少しはある反面、憧れやうらやましさがある」のだけど、その部分をグッサリと刺してきたのが、この金田ってキャラクターだなって感じますね。
まぁ、でも僕のそのひねくれた感情は、
自分の不幸な過去を語る時に少し嬉しそうにする人がいる。
傷ついて自分に価値がないと信じ込むようになってしまった人は、なぜか自分を壊した色々な体験を宝物のように人に見せるのだ。
普段社会では取るに足らない存在であっても、不幸の物語の中では主役でいられるからだろうか。
という主人公の感想でバッサリ切り捨てられるのだけど。
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